今年の夏の匂い
2009-08-06 01:00:39 (1 year ago)
-
カテゴリタグ:
- 日記
マンションの一階の端っこの部屋からは、その部屋の住人が毎日のように焚くのか、東南アジアで売っているようなお香の匂いが漂って来る。
よってその前を通る度にその匂いを嗅ぐことになる。
僕は学生の頃、数ヶ月かけて北インド/ネパールを旅した。
その時、よく嗅いだ香りと似ている気がするので、ふとその旅のことを思い出したりする。
自分の場合、記憶は匂いによって蘇ってくることが多い。
季節の変わり目に香る花の匂いは、いつも色んなことを思い出させてくれる。
後に僕がこのマンションを離れて、花の匂いを嗅いで夏のことを思い出す時、15年も前のインドでの日々と、日本の夏の記憶が微妙に繋がって思い出されるんでしょうか。
しかし印象などいい加減なもんで、インドで嗅いだ匂いなんていうのは、牛の糞や人糞の臭いなんかもあったのに、人糞の臭いを嗅いだとしてもインドのことなど思い出さない。
(インドの一都市バラナシでは神様の乗り物である牛が大切(?)にされていて、かなりの数の野良牛がいます。その牛が道ばたに糞をするのです。)
インドの匂いと言えば、やっぱり香辛料とかチャイの香りであり、人がうんこを目の前にした時に思うのは臭い汚いというものだけだ。
僕もインドで「うーん、牛糞この香り。まさしくインドっぽいね!」とは思わず、ただ臭いとそう思った。
うんこはシチュエーションに限定されずに臭い汚いの感覚を変えない。
ものすごく強いイメージだと思うんだ。
僕はそう思っちゃったんだ。
よってその前を通る度にその匂いを嗅ぐことになる。
僕は学生の頃、数ヶ月かけて北インド/ネパールを旅した。
その時、よく嗅いだ香りと似ている気がするので、ふとその旅のことを思い出したりする。
自分の場合、記憶は匂いによって蘇ってくることが多い。
季節の変わり目に香る花の匂いは、いつも色んなことを思い出させてくれる。
後に僕がこのマンションを離れて、花の匂いを嗅いで夏のことを思い出す時、15年も前のインドでの日々と、日本の夏の記憶が微妙に繋がって思い出されるんでしょうか。
しかし印象などいい加減なもんで、インドで嗅いだ匂いなんていうのは、牛の糞や人糞の臭いなんかもあったのに、人糞の臭いを嗅いだとしてもインドのことなど思い出さない。
(インドの一都市バラナシでは神様の乗り物である牛が大切(?)にされていて、かなりの数の野良牛がいます。その牛が道ばたに糞をするのです。)
インドの匂いと言えば、やっぱり香辛料とかチャイの香りであり、人がうんこを目の前にした時に思うのは臭い汚いというものだけだ。
僕もインドで「うーん、牛糞この香り。まさしくインドっぽいね!」とは思わず、ただ臭いとそう思った。
うんこはシチュエーションに限定されずに臭い汚いの感覚を変えない。
ものすごく強いイメージだと思うんだ。
僕はそう思っちゃったんだ。
森ビルでの展示
2009-08-01 14:49:45 (1 year ago)
-
カテゴリタグ:
- 日記
実は、今、森ビルのある一角で作品の展示をしている。
森ビルの関係者のみ出入りできる場所だから、見に来てくださいとは言えないんですが、一応お知らせを。
今回はワンダーサイトの展示後に描いた新作を10点と、旧作1点(計11点)を飾っています。
森ビルの関係者のみ出入りできる場所だから、見に来てくださいとは言えないんですが、一応お知らせを。
今回はワンダーサイトの展示後に描いた新作を10点と、旧作1点(計11点)を飾っています。
手首の角度
2009-07-27 16:28:41 (1 year ago)
-
カテゴリタグ:
- 日記
包丁を研ぐ時に気をつけるのは刃と砥石の接地する角度が一定であることだ。
刃の角度が綺麗だと、その美しさと比例して切れ味も鋭くなる。
刃物は美しさと、その性能の善し悪しが一致しているところが素敵だなと思う。
包丁を研ごうと思って、数時間まえからバケツの水の中へ砥石を浸しておいた。
その砥石を流しの台の上へ置き、砥石の上に薄らと水を張る。
刃を砥石の上に置き、自分の側から前方へ向けて刃を押す。
「しゃん」と刃と石の擦れる音。
そのまま数回「しゃん」を繰り返し、刃の具合を見る。
具合がよければ、その角度を保ってその動作を繰り返していく。
「しゃん、しゃん、しゃん、しゃん、しゃん、しゃん、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ」と一定のリズムで音を刻み続ける。
僕は、刃の先を見るよりは、手首に意識を持っていった方が上手く研げるような気がする。
ぐーっと意識を手首だけに集中して、体は一定の動きしかしない。
すると途中でどんどん頭の中が真っ白になってしまうので、僕は包丁を研ぐための機械になってしまったかのように錯覚する。
時間の感覚がなくなってしまう。
永遠というのはこんなところにあるんじゃないかなと思った。
刃の角度が綺麗だと、その美しさと比例して切れ味も鋭くなる。
刃物は美しさと、その性能の善し悪しが一致しているところが素敵だなと思う。
包丁を研ごうと思って、数時間まえからバケツの水の中へ砥石を浸しておいた。
その砥石を流しの台の上へ置き、砥石の上に薄らと水を張る。
刃を砥石の上に置き、自分の側から前方へ向けて刃を押す。
「しゃん」と刃と石の擦れる音。
そのまま数回「しゃん」を繰り返し、刃の具合を見る。
具合がよければ、その角度を保ってその動作を繰り返していく。
「しゃん、しゃん、しゃん、しゃん、しゃん、しゃん、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ、しゃっ」と一定のリズムで音を刻み続ける。
僕は、刃の先を見るよりは、手首に意識を持っていった方が上手く研げるような気がする。
ぐーっと意識を手首だけに集中して、体は一定の動きしかしない。
すると途中でどんどん頭の中が真っ白になってしまうので、僕は包丁を研ぐための機械になってしまったかのように錯覚する。
時間の感覚がなくなってしまう。
永遠というのはこんなところにあるんじゃないかなと思った。
