「や ゆ よ」の作品展

京都・一乗寺樋ノ口町にある Black bird White bird というギャラリーで1年半ぶりに個展 「や ゆ よ」の作品展 をひらきます。

今回、展示する作品には、京都へ引越してきてから趣味として始めた、金継ぎや、装飾品制作で使っている粘土や塗料。それから、アクリル絵の具や、油絵の具のような画材を使っています。見ために感じられる質感や、色の集積の中に、別の世界を知覚するための「きっかけ」が隠れているように感じています。作品の始まりは小さなブローチのようなものでしたが、それが人形のようなものに変わり、だんだんと大きくなっていき、絵とも立体ともつかない造形物になりました。

じゆうちやう じゆうちゆう じゆうちよう
「や ゆ よ」の作品展というタイトルは、上の言葉からとりました。

言葉の表情が少し変わるだけで、つかまえられる世界が変わる。
自分の作品でそんなことが伝われば面白いなと思っています。

それから、展示している作品のタイトルは、全て「じゆうちやう じゆうちゆう じゆうちよう」とつけています。



ところで、今回の展示の会場となる Black bird White bird というギャラリーは、ガラス張りで綺麗な回転する扉のついた素敵なところです。ギャラリーの名前は、小説家いしいしんじさんの短編集『白の鳥と黒の鳥』が由来なのだそうで、そんなところにも惹かれています。
2階はカフェになっていてゆっくりできます。
僕は、時々、ギャラリーへ顔をだす予定です。
みなさん、ぜひ、遊びにきてください。

「や ゆ よ」の作品展

会場:Black bird White bird
   〒606-8167
   京都市左京区一乗寺樋ノ口町8-2
   tel&fax 075−741−8111
会期:2013.5.15 wed – 5.26 sun
   12:00 – 19:00 (monday close)

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作品では物語を描いています。でも、今、その物語を言葉で説明するのはやめて、代わりに、展示の内容とは、直接関係のないものですが、好んで思い出し、制作の手助けをしてくれるエピソードを幾つかご紹介したいと思います。

最近、読んだ本の中に、アマゾンに棲むヤノマミ族の不思議な風習の話があって、気になったので調べてみました。それは、出産に関するもので、彼らは生まれてきた子供の中から、良い子孫だけを残すために、子供をへその緒がついたままの状態で返すか、人間として育てていくのかということを決めるのだそうです。
彼らは、へその緒がついた状態の子供のことを精霊と考え、精霊の状態で返す場合は、バナナの葉にくるんで蟻塚の中へ置いてきて、蟻が子供を食べつくす頃に蟻塚ごと焼き、神に精霊として返っていったことを報告するのだそうです。
彼らは精霊をどこへ返すつもりだったのだろう。そして、選ばれた人間の世界と、精霊になって戻る世界の違いのことをよく考えています。

もうひとつ別の話を。次はインドのタブラという太鼓の奏者で、第一人者であるザキール・フセインが、17歳の時に体験したチッラーという宗教的な隠遁儀式の話です。それがどんな儀式なのかというと、人里離れた村に建てた小屋にこもって、40日間ひたすら演奏するというもので、演奏家は皆それを3回やるのだそうです。毎日太鼓を15時間、40日の間、叩き続けるというのはどんなものなのでしょう。ザキール・フセインは儀式を始めて、5日目からほとんど記憶がなくなったそうです。その代わり、目の前に幻覚が現れるようになった。彼が語るには、彼の父親の先生である人の幻影に太鼓の叩き方を教わっていたり、タブラに目と口ができて、ぺちゃくちゃと喋りかけられたりしたそうです。
精神はリズムの影響を受けて、何か別のものを招いたり、どこか別の場所へ連れて行かれてしまうのでしょうか。

さらに、もうひとつ。今度は15年ほど前に沖縄の石垣島で、自分が体験したある祭りの話です。私はテントを持って短い旅行をしていた時期があったんですが、石垣島のある海岸でテント生活をしていると、地元のおじさんに話しかけられました。そして、今日は珍しい祭りがあるから、お前も一緒に来いと言って、深夜にある地域まで連れて行かれ、そこであるお宅の庭のついた間に通されました。しばらく待つと、目の前の広い庭に、木の葉を束ねて作られた、全身を覆う蓑(みの)のようなものを来た二人の男と、その周りを取り囲む白いフンドシ姿をした30人程の若い青年が現れました。フンドシ姿の若者は、皆、片手にタンバリンに枝がついたような、皮を張っただけの小さな太鼓を持ち、もう一方の手に持った細いバチでゆっくり太鼓を叩いていました。蓑(みの)を着た二人の男は、その音にあわせて身体を前後に揺すって歩き、何かをお祈りしていた。私は、なぜかそれについて詳しい説明も受けず、その祭りを見た後に車で送られテントまで帰されました。
暗闇の中での緊迫感よりも、ゆったりした空気の印象が残っている。あの儀式の不思議な明るさが忘れられずに身体の中に残っています。