熊野の滝

2月 14th, 2010 by a.s.

今日の夜はスーパーデラックスへ onnacodomo のイベントに行って来たんだけど、入ったらすぐに南風のミハがいて話しかけた。ミハが熊野に行って滝を見た話をしてくれたんだけど「滝がすっごく良かったんだよ、なんかエロくて」と言っていた。エロい滝という言い方にぐっときて、すぐに熊野に行って見てみたくなった。

DJ codomoライブ良かった!


ライブ中の映像

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早川良雄

2月 11th, 2010 by a.s.

このあいだ見に行って来た、早川良雄の展覧会はすごく良かった。
あの絵が商業デザインとして成立してるっていうのも凄いけどね。
カッコいいなぁ。
展示されてた原画は、絵の具と色鉛筆で色の重なりを慎重に配慮して描かれている上、画面から伝わってくる筆の動きからは大胆さが失われてなくて、ザクザクと音が聞こえてくるようだった。
そんなに難しいことしてないのに、決め所を心得ているから、絵に平板な印象を与えないし、特に輪郭の処理の仕方には独特な気の使いようが見えてわくわくした。

このあいだ見に行って来た、早川良雄の展覧会はすごく良かった。あの絵が商業デザインとして成立してるっていうのも凄いけどね。カッコいいなぁ。展示されてた原画は、絵の具と色鉛筆で色の重なりを慎重に配慮して描かれている上、画面から伝わってくる筆の動きからは大胆さが失われてなくて、ザクザクと音が聞こえてくるようだった。そんなに難しいことしてないのに、決め所を心得ているから、絵に平板な印象を与えないし、特に輪郭の処理の仕方には独特な気の使いようが見えてわくわくした。

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境界について

2月 7th, 2010 by a.s.

家のトイレには、芳香剤と消臭剤が置いてあって、芳香剤からは森の香りが、消臭剤からはバラの香りがするんです。どちらも同じ香りにして匂いを統一すれば良かったものの、うっかり別の香りを買ってしまったので両方使っている。
一つは入口の側に、一つは奥の水が流れるタンクのところへ置いてあり、狭いトイレの中に二つの香りが起こっているわけなんですけど、なぜか二つの香りは部屋全体で混ざってしまうことがないようです。
さっき、僕は水を流して便器を洗浄し、タンクの側にあった僕の頭部が入口の側に近づき、鼻腔を通る香りが森からバラへ変わるその動きをしたタイミングで(簡単に言うと便座から立ち上がった時)、何か嗅いだことのない、くぐもった香りを吸い込んでしまったのです。
それは丁度、森とバラの中間地点(どこだそれ!)。
「あ、これは…」
僕、偶然、臭いの境界を見つけちゃったみたいです。
そこは、乾かし忘れた洗濯物みたいな匂いがした。

家のトイレには、芳香剤と消臭剤が置いてあって、芳香剤からは森の香りが、消臭剤からはバラの香りがするんです。どちらも同じ香りにして匂いを統一すれば良かったものの、うっかり別の香りを買ってしまったので両方使っている。一つは入口の側に、一つは奥の水が流れるタンクのところへ置いてあり、狭いトイレの中に二つの香りが起こっているわけなんですけど、なぜか二つの香りは部屋全体で混ざってしまうことがないようです。さっき、僕は水を流して便器を洗浄し、タンクの側にあった僕の頭部が入口の側に近づき、鼻腔を通る香りが森からバラへ変わるその動きをしたタイミングで(簡単に言うと便座から立ち上がった時)、何か嗅いだことのない、くぐもった香りを吸い込んでしまったのです。それは丁度、森とバラの中間地点(どこだそれ!)。「あ、これは…」僕、偶然、臭いの境界を見つけちゃったみたいです。そこは、乾かし忘れた洗濯物みたいな匂いがした。

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二つの出来事

1月 28th, 2010 by a.s.

駅に向かう途中のある通りで、ここを何か通ることが出来るのか、というような細い隙間から二人の男性が出て来た。どちらも50〜60代くらいの白髪の混じった頭に、一人は背の高い、もう一方は背の低い二人組で、グレーの作業着のような、腕の部分がダブついたサイズが大きめのジャンパーを羽織っていた。
僕は何度もここを通ったことがあったのに、二人が出て来た隙間に一度も気づいたことがなかった。
それほど細い隙間だった。
彼らが行った後、その隙間を覗いてみたけど、暗くてほとんど何も見えなかった。
あまりに唐突に、意識の外からこちらの世界に入って来た人達を見て、なんだか空間がおかしくなってしまったんじゃないかと思った。
息子のなっちろと毎日風呂に入っている。
風呂に入っている間、なっちろは呼びかけても全く気づいてくれない。
意識がどこかへ飛んでいってしまっているように、大概、風呂の天井の角の一点を見つめて何かを見ているような表情をしているので、僕はなんとかしてこちらの方へ意識を戻そうと大袈裟にくすぐってみたり、まあるいほっぺたに噛み付いてみたり、色んなことをしてみるんだけど、心ここにあらずといった顔の彼。
足を時々動かして、かえる泳ぎのような仕草をするが、水の感触に浸っているような感じでもない。
一体何を見ているんだろうか。
何かをそこに感じているんでしょうか。
ちょっと繋がっているんじゃないかと思った出来事二つ。
知っているようで見えてないことがあるかもしれない。

駅に向かう途中のある通りで、ここを何か通ることが出来るのか、というような細い隙間から二人の男性が出て来た。どちらも50〜60代くらいの白髪の混じった頭に、一人は背の高い、もう一方は背の低い二人組で、グレーの作業着のような、腕の部分がダブついたサイズが大きめのジャンパーを羽織っていた。僕は何度もここを通ったことがあったのに、二人が出て来た隙間に一度も気づいたことがなかった。それほど細い隙間だった。彼らが行った後、その隙間を覗いてみたけど、暗くてほとんど何も見えなかった。あまりに唐突に、意識の外からこちらの世界に入って来た人達を見て、なんだか空間がおかしくなってしまったんじゃないかと思った。

息子のなっちろと毎日風呂に入っている。風呂に入っている間、なっちろは呼びかけても全く気づいてくれない。意識がどこかへ飛んでいってしまっているように、大概、風呂の天井の角の一点を見つめて何かを見ているような表情をしているので、僕はなんとかしてこちらの方へ意識を戻そうと大袈裟にくすぐってみたり、まあるいほっぺたに噛み付いてみたり、色んなことをしてみるんだけど、心ここにあらずといった顔の彼。足を時々動かして、かえる泳ぎのような仕草をするが、水の感触に浸っているような感じでもない。一体何を見ているんだろうか。何かをそこに感じているんでしょうか。

ちょっと繋がっているんじゃないかと思った出来事二つ。知っているようで見えてないことがあるかもしれない。

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ときどき落語を聴いてます

1月 19th, 2010 by a.s.

数年前から少しずつ落語を聞いてます。
お気に入りの噺家は、みんな大好き柳家小三治。
って、あげるにしては当たり前すぎるか。
喬太郎とか志の輔とか喜多八も好きです(こっちも当たり前なんだけど)。
落語を聴いていると、噺の世界ににどっぷり浸かってしまい、舞台となっている江戸の街が頭の中に浮かんで来て、僕はすっかり江戸の街に入り込んでしまう。
語りによって別の世界へ連れて行かれてしまう感覚。
僕はそれが好きなんです。
小説とか音楽や演劇や映画、絵画とか彫刻とかマンガや写真や食事でも、そんな力があることが不思議で、その語られ方によって連れて行かれる景色や場所が全然違うのが面白いなぁと思う。

数年前から少しずつ落語を聞いてます。お気に入りの噺家は、みんな大好き柳家小三治。って、あげるにしては当たり前すぎるか。喬太郎とか志の輔とか喜多八も好きです(こっちも当たり前なんだけど)。
落語を聴いていると、噺の世界ににどっぷり浸かってしまい、舞台となっている江戸の街が頭の中に浮かんで来て、僕はすっかり江戸の街に入り込んでしまう。語りによって別の世界へ連れて行かれてしまう感覚。僕はそれが好きなんです。小説とか音楽や演劇や映画、絵画とか彫刻とかマンガや写真や食事でも、そんな力があることが不思議で、その語られ方によって連れて行かれる景色や場所が全然違うのが面白いなぁと思う。

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